■アヤカシ■1■ 斑 語る。

長く長くたなびく白い煙。

生き物を燃やす、脂の匂い。

青い空に吸い込まれ、溶けていく柱のような燃えかすに魂が乗るなんて誰が信じようか。

楡の木に体を横たえ私は深く息を吐き出した。

真っ白なけむくじゃらの巨体は枝葉を伸ばす木々に囲まれ薄蒼い陰影を毛皮に落としている。



「・・・・・・・・・・ふー・・」



気だるい息をつき、のっそりと伸びをした。

夏目は知らないが、長く年を経た妖は器に妖気がこもる。

招き猫の器ではこの体を収めておくのは難しいのだ。

アレが学校に行っている間に、力を四肢に流してまわす。

せめても循環を良くしておけば「時間切れになる」ことが伸びるかもしれない。



爪の先まで妖力を高めひろげて、体内に納められたからくりが動き出すのを押さえた。




夏目・・・


祈りのように心に表情を刷いた。


振り返った能面のような顔が、怒った顔や激怒した顔や恨みがましいものにころころと変わる。

指先を私につきつけ、花がほころぶようにとろけるような笑顔を向けた。


のっそり、とゆるく体を伸ばして落ちるように中空に身を乗り出した。


ガクリ、と重力に引かれる体が恨めしい。




夏目の帰宅時間に合わせるため、再び前足に妖力をこめた。



腹立たしい封印が、再び効力を持ち出している。


あの日、夏目が破ったのはなおざりな封呪で本来の呪は私の体内にある。


くるくると回転するように腹腔を凍りつかせるそれは、少しずつ復活した私の
妖力を喰らうと、水がめに水が溜まるのを見計らい、私を完全に封印するだろう。



風を切りながら中空に浮かび、近い日には空に上がることも、

夏目が目を輝かせた風を味あわせてやれなくなる日が来るのだと
重い腹を抱えながら幾度目かのため息をついた。




■アヤカシ■2■ 斑 語る。



頬に一筋の切り傷が。


「先生の・・・・っ・・」


夏目が口端をひきつらせ、ゆっくりと目を伏せた。

剣呑な気配が立ち上り数秒の間のあと、水の中のようにゆうくりと、
琥珀色の瞳が怒気をはらんで開かれる。

一瞬、琥珀の殻に封じられたような気がして反応が遅れた。



「このっバカネコ!!!!」


「なんだと!この優美なッグウハッ!」



容赦のない鉄拳が、妖本体である斑の脳天に炸裂し、



「にゃっ!!」



畳の上に突っ伏した。



「先生・・・もう怒ったからな。」



ヒトの力の篭った夏目の拳は、体内に残る封印の欠片を共振させる。

とろろと、毒が体を冒すように腹腔を重くする拳を無視しながら
ごろりと丸い体を引っくり返した。



「か〜んべ〜ん〜しろ」



招き猫の体に強制変化させられみっともないにも程がある。

内心の屈辱を隠し飄々と無い肩をすくめれば、
むぎゅうと頭を畳にゲンコツで押し付けられた。


「ぐぉ・・・・むぎゅ」


「やだね、もう勝手にしろっ」



替えたばかりのイグサの匂いを嗅ぎ、離れていく夏目の気配と
軽い足音を耳で追った。



塔子が”貴志くんそのほほどうしたの”と慌てた声で聞き

”なんでもありません”と夏目が答えた。

塔子の心臓の動きが早くなり夏目の心臓も踊りだす。

”血がでてるわ、救急箱”不安げに揺れる声。


”だいじょうぶです”苛立ちを押し殺した声。



絡み付く心細げな気配を振り切るように夏目が玄関から飛び出した。

遠のく気配に、些少の寂しさと安堵。



深く息を吐き出し、畳に額を擦りつけながら、



「っ・・・・う・・・ク・・・・・・」



強く響く檻の痛みに耐えた。


今、は駄目だ。

今ではない。

アヤカシにとって数十年の時はまばたきのような物だが、
夏目にとってはそうではない。

以前とは違う、今は、一分一秒が惜しい。

今・・・・夏目の傍を離れる訳には行かない。

再封印されるわけにはいかない。

夏目友人帳・・・・・レイコの呪縛。

夏目の潜在能力とアヤカシをほだす性質は凄まじい勢いで万里をかけている。

力試しと、夏目に挑むものも出始めている。

的場のような厄介な一族もいる以上、ヒトといえども油断は出来ない。

夏目を気に入る名取が助けに来ると豪語しても、危機に間に合うとは限らない。

誰も・・・あてには出来ないし、する気も無いが・・

今は”斑”の力のほうが勝っているが、勝るということは類似した力が”斑”以外にも在るということだ。



ほんの僅かな隙も見過ごせない。
ほんの僅かな隙に、夏目は命を落とすだろう。
ほんの小さな力のアヤカシにすら夏目は木の葉のように千切れるだろう。
ほんの僅かな時間に、夏目は生涯を終え、本意でない生を強いられる。
ほんの僅かな時間を、夏目が・・・



そんな体たらく、私は自分自身に許しはしない。

夏目の血の味が美味いと気がついてしまったあの日から・・・

私は己に枷を定めた。



「っ・・・・時間が無いな・・・・・」



体内の封印が再び強まっている。

最近体調が悪い。アヤカシの気配に過剰反応し感情が昂ぶりやすくなっている。


これが発動してしまえば、もう次に目覚めるのは数百年後だろう。

偶発的に解除されたとしても、その時まで夏目が無事でいられる保証はない。


深く、深く沈みこむように先ほどの香気を舌なめずりした。


不安に駆られ、夏目に今日は家にいろと強要した。
田沼らと約束したとき、夏目は聞く耳を持ちはしない。
共に出かけられるほど、今日は具合がよくないから・・・私は出られない。
間抜けな体を晒し、夏目の守護が弱ったと言い回る訳には行かない。



「・・・・・・・・・・・・・・・・」



しつこいほど、夏目に絡んだ。

家に残れと、理由も告げずに駄々のように。

あと、もう少しでいいなど言えない。

他に守護するものが現れるまでなど、言えはしない。

他に夏目に近づくものがいれば食い殺してやるのに・・

夏目はそれを望まず、私も・・・口が裂けてもいいたくない。






深く息を吐き、ふと、顔を上げれば。



「・・・・・・・・・・・・夏目・・」



お前の気配がわからないなんて・・・・









「先生、ほらっ・・・新作のまんじゅう・・・買ってきてやったんだから
もう拗ねるなよっ・・・」



夏目がうっすら汗をかきながら部屋の隅に背をもたれさせ、腰を下ろす。
首筋に汗が流れ、頬の傷はもう閉じていた。



「・・・・・・・食べるんだろ?」



かさかさと封を開き、夏目が麩饅頭を口に運んで。



「先生?」



お前と共に居たいよ・・・・



「うまそうにゃーん!ぜんっぶよこせぇ!!」



勢いよく飛び掛り、夏目に顔面ごと捕まれた。




<終>